尾崎行雄 (おざき・ゆきお)

尾崎行雄(1858―1954) は、真の民主政治と世界平和の実現にその一生を捧げた政治家です。

 

若くして自由民権運動に身を投じ、保安条例により東京退去を命じられ米国・英国に渡りますが、国会開設(1890年)とともに衆議院議員に選ばれ、以来、議席にあること60有余年、連続当選25回という記録を打ち立てました。

 

素志は藩閥軍閥の打破、民主政治の確立にあり、あらゆる権力の弾圧にも屈せず、常に民衆の側に立って闘いました。その雄弁は天下に鳴り、憲政擁護運動が起こると人は彼を「憲政の神」と呼びました。

 

また、軍国主義が一世を支配するに及んでも平和の信念を曲げず、軍縮を説き単身全国遊説を始めるとともに、三たび辞世を懐にして議政壇上に立ち、国論に警告することをやめませんでした。

 

そして晩年は、廃藩置県と同様に「廃国置州」という考えに基づき、「世界連邦」の建設を提唱。「憲政の父」「議会政治の父」と仰がれつつ一生の幕を閉じました。享年95歳。

 

※「咢堂」(がくどう)とは、尾崎行雄の雅号(ペンネーム)です。尾崎は青年時代、「学堂」と名乗って執筆活動をしていましたが、保安条例によって東京退去を命じられ愕然としたことから「愕堂」と改めました。そして50歳頃より、りっしんべんを取り「咢堂」としました。

 

 

  → 「憲政の父・尾崎行雄の歩み」 (略年譜)